火の出るようなブログ2

やっぱり、人は他人を理解しあうことでしか最後は自分自身も救われないと思うのです.

必要とされる自分、必要とされない自分

貴方は誰かに必要とされていますか?

突然だけど職場や学校、あるいは家庭じゃなくても、例えば仮想と言われるSNSの世界でも毎日「おはよう」とか「おかえり」と言われると、ほっとする。正直な話、調子がいい時は挨拶なんだけど、調子が悪い時には救いの言葉になる。なんだか、誰かとつながっている気がして自分は独りじゃないって実感ができる。だから僕もできる限り言葉をツイートする。生存の確認みたいでおかしいけど、でもそんな毎日が嬉しい。

人間関係は難しくて、血がつながっている親子だって憎しみあうことがある。日本の殺人の47%は家庭内で起きているという事実。またあれだけ愛し合った男女だって罵り合ったり、別れてしまうことだってある。真夏の暑い中、2時間も駅の改札の前でワクワクして待ってくれた人も別れてしまえば、もう僕のことなんて忘れてしまっているかもしれない。タフになれればいいけど、ブレイクダウンすることだってある。自分って誰かに必要とされているんだろうか、って考えて落ち込むことだってある。

人間の死には2つある。生態的な死と誰かの記憶から忘れ去られる死だ、って何かの映画のセリフにあったっけ。僕が死んだら、あっさり忘れ去られるだろうし、それでもしょうがないと思う。正直、死んでからのことなんて考えていられない。それよりもせめて生きている間は、誰かに必要とされたいし、誰かを必要として生きたい。

人とつながりたい。社会とつながりたい。逆かな?社会とつながるためには誰かとつながっていなければいけない。人生はハードでタフだけどね。
さあ、元気を出してまた歩き出そう。

今日はこの曲。

Eagles - Take It To The Limit - YouTube http://www.youtube.com/watch?v=YwASii2f5c8